本当のことは
笑いたければ笑うがいいし、
蔑みたければ勝手にしろ。
寒いとか、気味が悪いとか、そんなこと自分も会話のなかでおもしろおかしく言ったりするけど、
真剣に悩んで考えてそのうえでリスクも覚悟で前に転がっているやつに対して冷笑を浴びせる奴を僕は許さない。
仲間なら尚更。
あたりまえか、そんなの。
でも、そんな些細なことをいちいち気にしてしまって、ちょっと前に出てしまうことを躊躇っていた自分がいたことを強く後悔している。
ひとりで突き進める推進力と勇気と決断力が今までなかったこと、そのせいで台無しにした過去があることも、がっかりさせたり、悲しませたり、傷つけたり、たくさんのどうしようもない偽りや欺きや怠慢を引きずって、わけのわからない重圧に耐えかねて身体まで壊したこともあった。
マナーと恥の概念は大切な要素だと思う。
でも、向こう見ずな前向きさに比べたらそんなもん屁のつっぱりにもならんですよ。
ひたすら前に転がらながら、その中でもブルースは溜まっていく。
無理ばかりはいけない。
けど、わかっていることを「でもなぁ、」と打ち消している時間も猶予もそもそもないわけで、自分が当初恐ろしく無知に純粋に思っていた輝かしい希望はいつの間にか奥に引っ込めてしまってたりして、そんな青くさいポリシーやイメージをただの若気の至りで片付けてしまうには、そこまで歳は喰ってない。
最近、僕は衝撃的な出来事があった。
ある人に出会って、自分が曲を書き歌い出してから今までのことを振り返らざるを得なくなった。
それは、その人が前途で述べたようなことを一つ一つ乗り越えて、自分の使命としてその仕事に向き合い、常に戦わせ、夢にみている風景までの道のりを一歩ずつ丁寧に進んでいるということを、ただひとつの作品でしっかりと表現していたから。
人柄や環境や性格なんかもあるのかもしれないけど、その全てを本当に前向きに生かしているし、生かされいる。
鮮烈な目覚めを体験した。
音楽の現場で幾つも経験したであろう奇跡が、小さなテーブルの何気無い一皿に詰まっていた。
そのことがあってから、慣れ親しんだ馴染みの音楽家たちの唄や音を聴き返してみたら、その響きやや讃えていることの細かい意味までもが以前にも増して心に入っていって、うわぁ、そういうことか、と、何度も聴いてきたはずの曲達が鮮やかに身体の中に浸透していくのです。
自分に余計な言い訳をしたり、謙遜という隠れ蓑で恥を隠そうとしたり、こうして長々とブログを書いてみたり、そういうこと全てを洗い直してやめにしなきゃいけないと思った。
僕は音楽を作って音楽を鳴らさないといけない。
今以上に強く、優しく、大胆に、繊細に。
本当のことは常にシンプルに存在してる。
それをややこしくさせてるのは、知った顔でドヤ顔決めてる自分の卑しい根性だ。
不安なんてもうずっといっしょに何年も生活してる。
それでも前にしか転がってはいけない。
僕はもう充分休んだ。
去年104本ライブをしたし、たくさんの最高の瞬間を目の当たりにしてきたけど、そのうちのほとんどはおこぼれみたいなものだ。
自分の力だけで成し得たものではない。
小さなことを気にかけ過ぎて動かせなかったことを、これから本気で動かしていきたい。
僕も、もっともっと前に前に進みたい。
そう、いつも笑顔を忘れずに、と、彼らも言っていたなぁ。
とても大事なことだ。
by sistelick
| 2013-06-11 03:13
| 小言